継承、そして次の百年へ。

かつて「日本一の長者村」と称され、財界人や名士たちが愛した邸宅街、御影。
その御影の原点にして、往時の面影を今に伝える旧村山家住宅―香雪美術館を眼前に、
「パークコート御影ザ フォレスト」は誕生します。
100余年を経た時の記憶を受け継ぎ新たな100年を象徴する邸宅の姿。
次代の御影に、先人の邸として語り継がれる
17の私邸が、ここに時を刻みはじめます。
※出典:「近代日本の郊外住宅地」(鹿島出版会 刊)

村山邸

竹中工務店編 承業二十五年記念帖より 村山邸
資料提供:国立国会図書館

邸宅街、御影の譜。

  • 田辺貞吉邸

    田辺貞吉邸(明治41年/現:東灘区住吉本町)

  • 小倉捨次郎邸

    小倉捨次郎邸(大正14年/現:東灘区住吉山手)

  • 久原房之助邸

    久原房之助邸(明治37年/現:東灘区西岡本)

理想を描いた郊外居住の地、
「御影」の原点。

御影の邸宅地の始原となった人物は、明治33年頃この地に広大な土地を取得した、初代朝日新聞社主、村山龍平氏。当時は、急激な工業化によって大阪市内の住環境が悪化したことに伴い、富商らの多くが大阪市近郊の住宅開発に注目していた時代、まだ「郊外居住」という言葉や考え方は一般的ではありませんでした。村山龍平氏は、その先駆けとして、大阪、神戸の都市に近く、自然豊かで穏やかな気候風土を備えた六甲山麓の田園地帯であった御影を居住地に選びました。
※参考資料:「阪神間モダニズム」(淡交社 刊)

財界人・名士らによって
邸宅街として発展した御影。

村山龍平氏の移転に呼応するように、住友銀行初代支配人であった田辺貞吉氏、久原財閥総帥の久原房之助氏や小倉商事(現川鉄商事)社長、小倉捨次郎氏など、文字どおり近代日本を牽引した財界人・名士がこぞって御影の地に居を移しました。これらの邸宅はいずれも1,000坪(約3,300㎡)以上という豪壮な建築で、当時これだけの密度で大邸宅が建ち並ぶ例は全国でも類がなく、御影を中心とした地域は「日本一の長者村」と称されました。
※参考資料:「阪神間モダニズム」(淡交社 刊)

歴史を継ぎ、現存する
旧村山家住宅―
香雪美術館。

100余年の歴史を経て、当時のままの姿を遺す「旧村山家住宅」。
その一部は香雪美術館として、邸宅地御影の原点を今に伝えています。

国指定重要文化財 旧村山家住宅 建物群

旧村山家住宅

旧村山家住宅は、六甲山南麓の約5,000坪(約16,500㎡)の敷地に洋館や書院棟などがあり、明治42年に最初に完成した洋館は、外観はハーフ・ティンバー風の装飾を用い、室内は様々な洋風意匠を融和させた華やかな装飾を施しています。数寄屋造りの書院棟は、三階の望楼や50畳の大広間を備え、四面が異なる外観をもつ複雑な立面構成をしています。また、村山邸の特色でもある茶室「玄庵」は、藪内流の藪内節庵の指導を受けて建てられました。それら和洋の建物が起伏に富んだ地形を生かして巧妙に配置され、今なお良好に保存されている「旧村山家住宅」は、その高い価値が認められ平成23年国の重要文化財に指定されています。
※出典:「近代日本の郊外住宅地」(鹿島出版会 刊)

村山龍平氏と香雪美術館

香雪美術館香雪美術館(約160m)

村山龍平氏は、朝日新聞を報道中心の全国紙に育てた一方、日本の文化財を保護し、茶の湯に親しみ新しい美術を奨励することに生涯を尽くしました。村山龍平氏は、関西の財界人達との交流を通して茶の湯の世界を楽しみ、茶会では、蒔田伝三郎、野村得庵、三井高棟、住友春翠等との交流が行われ往時の財界人との親交を窺い知ることができます。「旧村山家住宅」の敷地内に建つ香雪美術館は、村山龍平氏が収集した日本・東洋の古美術コレクションを収蔵する美術館として昭和48年開館、かけがえのない文化財を未来へ伝える事業を進めています。
(資料提供:公益財団法人 香雪美術館)

村山 龍平(むらやま りょうへい)

朝日新聞創業者

村山 龍平(むらやま りょうへい)

嘉永3年(1850年)〜
昭和8年(1933年)

香雪美術館香雪美術館(約160m)

※掲載の写真は平成29年11月に撮影したものです。

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