SUMIYOSHI YAMATE ADDRESS
名士たちが育んだ邸宅文化はじまりの地。
その美風が息づくアドレスに住む。
明治から昭和初期、日本の近代化をリードした名士たちがこぞって邸宅を構えた住吉山手エリア。
彼らは私財を投じて学校や病院、生活協同組合などを設立し、街全体の発展に力を尽くしました。
その志は阪神間モダニズム※1として開花。培われた豊かな生活文化は今もこの地に息づいています。
街の源流「灘目の水車」を眼の前に。
江戸時代から住吉川流域には水車小屋が立ち並び、油絞りや製粉、精米に使われてきました。水車による精白度の高い酒米が灘の酒造りを支え、住吉界隈の発展を導いてきたとも言えます。最盛期には100基近くあったこの水車を偲び、親水空間として整備されたのが、本計画地の眼の前にある「灘目の水車」です。復元された大小2基の水車が回り、暮らしの中に誇らしい時の流れを感じさせてくれます。
灘五郷の一つ「御影郷」の酒造りで繁栄。
阪神間の「灘五郷」エリアは、江戸中期から銘醸地として栄えた地。上質な酒米、水車による精白、住吉川の伏流水、寒造りに適した六甲颪の風。その中で「御影郷」は今も日本を代表する酒造拠点として知られています。住吉山手の周辺には、菊正宗記念館、白鶴美術館、灘中学校・高等学校など、酒造家たちが設立した施設が点在。経済だけでなく文化・教育面でも、地域の発展を支えています。
日本一の富豪村と呼ばれた※記憶を刻む街並み。
朝日新聞創業者の村山龍平が、住吉の地に移り住んだのは明治33年頃のこと。これを機に大阪の実業家たちが続々と邸宅を構え、やがて住吉は「日本一の富豪村」と呼ばれるまでになりました。ここから華やかな生活文化である阪神間モダニズムが花開いていきます。当時の豪壮なお屋敷の面影は、御影石による石垣、手入れの行き届いた庭木の連なる街並みに刻まれ、日々の通勤・通学路に優雅な趣を漂わせています。
※出典:神戸市ホームページ「東灘区の歴史」より抜粋
※神戸市HP、灘五郷酒造HP、神戸観光公式サイト、香雪美術館HP、住吉歴史資料館だより第12号
安心して子育てできる、守り継がれた住環境。
「住吉学園」は、教育や福祉において地域に貢献。
「住吉学園」は、富豪村と呼ばれた時代の旧住吉村の資産を管理する財団法人。
土地の賃貸収入などを幼稚園や保育園の運営、小・中学校へのIT機器の寄付、奨学金制度、高齢者の長寿を祝う催事にも活用。地域の教育・文化・福祉を支援しています。
住吉学園
□徒歩8分(No.1~4・6~10)、徒歩9分(No.5・11~14)
住吉学園幼稚園
□徒歩8分(No.1~4・6~10)、徒歩9分(No.5・11~14)
神戸市立東灘図書館
□徒歩18分(No.1~14)
この街の邸宅史を綴るファインコートの系譜。
住吉山手エリアで数々の分譲実績を重ねてきた、三井不動産レジデンシャルのファインコート。
街並みに調和した景観、地域ニーズに応えるプランニングで、この街の邸宅史の1ページを綴っています。
※1:阪神間モダニズムとは、大正時代から昭和初期の時代までを中心に、大阪と神戸との間である阪神間で新しく生まれたライフスタイル、生活・産業、芸術文化とそれに関連する学問、建築、娯楽、ファッション、スポーツ、価値観などの時代の潮流。
※掲載のエリア概念図は、主要な幹線道路や施設等を抜粋して簡略化したもので、実際とは異なります。また、すべての道路・駅等を表示しているものではありません。
※掲載の徒歩分数は1分=80mとして算出し、端数は切り上げております。
※2026年6月現在の情報をもとに作成しておりますので、今後変更となる場合がございます。予めご了承ください。
※掲載の環境写真は、2026年7月に撮影されたものです。
